情報共有2

このページは私達からのアピールに対して寄せられた、被災地への直接的支援に関する情報を共有します。

現在、3団体、1企業、及び数名の個人の方から情報を頂いておりますが、情報公開に関し
その許可を頂くために御検討頂いております。
また、関係諸官庁との公開に関する確認をとっております。
許可を頂いた順に公開させて頂きます。

4/8~11 カンパのお願い

4/12(火)仙台市で活動しているNGOグループと連携して支援活動を行なっている、鎌倉とどけ隊の皆様と共に12(火)~15(金)の4日間パパラギより有志スタッフ3~4名が仙台~石巻市被災地へ向かいます。
現地からの細かな情報をもとに、いまだ物資が届かない遠隔地や小さな避難所などへの救援物資の輸送、炊き出し、お風呂の設置、瓦礫撤去作業等など、人員不足が深刻な地への有効なサポートを行ないます。
その為の輸送経費や物資支援のためのカンパを4/8(金)~11(月)まで、パパラギ各店店頭で募らせていただいております。 どうぞ皆様、お心遣いをお願いいたします。

<4/6(水)に現地に行っている先発隊からの状況>

石巻市では人も、物資も全然足りていないという状況です。
その原因のひとつが、公共施設(市役所、公民館等など…に集まっている支援物資がそこに積みあがったまま、それを運搬する人手、車両が不足している為、必要な場所、人々へと有効に配分ができていないためです。
これらを効果的且つ敏速に対応する事ができる現地でのNGO活動が重要です。

4/12~4/14 東日本大震災復興支援参加報告  場所:宮城県仙台市宮城野区高砂

 今回、私達は宮城県仙台市で支援活動をされている現地の災害復興支援団体「仙台とどけ隊」でお手伝いをさせていただきました。
この団体は、宮城県内で商売をされている若手の企業家の方々が主となり、全国の有志の協力を得ながらボランティアで活動をされています。
主な活動の目的は、宮城県内でも津波などの被害がひどい地域や、数多くある避難所の中で、行政や赤十字などの大きな団体の支援が充分に行き届いていない場所への支援です。

 活動内容も大きく種類分けされており、避難所への支援物資の配給、炊き出し、学校などの公的な避難所以外(民家や、商店など屋根のある場所)で避難され、孤立している人たちがどこに、どれくらい居るかの把握、治療ボランティア、美容師、整体師の派遣、全国からの支援物資の仕分けと管理等です。その他にも、被災者の方から何か頼まれれば出来る限り受けるようにしているようでした。
震災から約1ヶ月の間で、すでに100ヶ所近くの避難所や民家を回られています。

 事務局担当は仙台市で「㈱ぷりん」(プリン屋さん)を経営されている濱口 竜平さんで、この方がグループ全体の活動の指示や、情報をまとめる役割をされていました。
濱口さん自身、被災され、お店や家は無事でしたが、今は支援活動をされているため、お店は営業できていない状況です。

 今回、私達が目にすることができた被災地の状況は、広い三陸地方の中でも氷山の一角でしかありません。ですから、本当に狭い地域で見たことしかお伝えできませんので、その点を御理解下さい。

 まず、実際に被災地に行って分かったことは、宮城県内でも被害が甚大だった地域と、比較的軽かった地域では大きな格差があります。仙台市内を車で走っていて、中心部では時折道路に凹凸があったりはするものの、建物等、目に見える風景からは被災地とは思えないほど普通の風景なのですが、ある地域に差し掛かった途端、道路沿いに津波で流された車がひっくり返ったままになって重なりあっていたり、通り沿いのお店は全て営業できていない状態になっている場所も沢山ありました。
私達が見た中で一番酷かった地域は、グループの方から是非見てほしいということで案内して頂いた、七ヶ浜という海岸の町で、そこは何百軒もの家々があった所を津波によって全て流され、もともとは広い住宅街だったはずが、今では瓦礫や流された車、へどろに覆われた広い平地と化していました。

 私達が約二日間お手伝いさせて頂いた内容は、全国から送られて来た支援物資の仕分け作業でした。
「仙台とどけ隊」に協力をされている、「会津通商」という運送会社さんの支店が仙台市にあり、そこが無償で貸して下さっている倉庫に全国からの物資がダンボールで山のように送られてきます。

 届く物資は本当に様々で、飲み物、食料品、おかし、離乳食、電池、懐中電灯、マスク、トイレットペーパーやおむつ、生理用品、衣料品、洗面用具、筆記用具やおもちゃ、などなど全国各地の方々の想いがこもった品々や、手紙などの応援メッセージもありました。
しかし中には使い道がない物もありました。例えば古くて汚い服や、酷いものでは明らかに在庫処分のために送ってきたとしか思えない物(例えばバックの肩かけ用の紐だけがダンボール1箱や、ネクタイ1箱等)もありました。

 仕分けるのも大変な作業で、私達が到着した日は、広い倉庫の中ボランティアの方が3人で仕分けをされていました。
その日は夕方に2トントラックに物資が満載で送られて来たのですが、主にホウレンソウなどの野菜が入った箱が2~30箱、その他食料品や生活用品でした。
物資が届いたら、まずは箱をひとつひとつ開けて仕分けをし、水、お菓子、レトルト食品と、それぞれジャンル別けして箱に詰めて表に品名を書き、置き場所に積み上げていきます。ひとつの箱に同じ種類の物が入っていると仕分ける方も助かりますが、大体が1箱に色々な種類の物が入っており、またダンボールは何十箱も届くので、仕分けも効率良くはいかず、かなりの時間と労力がかかります。しかも、実は物資はここの施設ではすでに余っている状態で、倉庫のキャパを超えてしまっており、山積みになっているため、せっかく整理しても大きな余震が来た時には全て崩れてしまったこともあったそうです。

 団体の方も、物資の管理に困っており、物資募集はすでにストップをかけているのですが、それでも届いてしまう物は受け取らざるを得ないという実情もありました。

 また、仕分ける作業をしていて感じたことは、全国の人たちが自分たちの想像で被災者に必要と思われる物を送って来てくれているのですが、その的がかなり外れていたり、場合によっては有難迷惑になっていることもあるということです。

 例えば、野菜を何十箱も送ってきてくれても、それを必要としている避難所がすぐに見つからなければ腐ってしまいますし、倉庫から避難所に届けるにも人手と車両を使わなくてはなりません。それを効率良く届けるには大きな避難所に一度に持っていくことになりますが、大きな避難所には食料は足りていることが多いので、こちらからお願いをして引き取って頂くということもありました。
また、あるボランティア団体からは送られて来た「ぞうきん1万枚大作戦」と書かれ、雑巾だけがぎっしり入った箱が沢山届いたりしていました。

 野菜は農家の方が、被災地の人たちに新鮮な野菜を食べさせてあげたいという想いで送ってくださっているのですが、その想いが届かないという側面もあります。
その反面、ここの倉庫には物資があふれていても、孤立した場所で避難生活をしている人達には物資が行き渡っていなかったり、未だにまともな食事もできないなどの現状もあると聞きました。

 支援物資を送る側の人たちは、テレビや新聞等で観たことを参考にしているのだと思いますが、物資を送る前に、どこに何がどれくらい必要なのか被災地に直接確認してから送る必要があると感じました。
そうでないと、送る側と受け取る側では温度差もあり、噛み合っていない部分も見えましたし、今回作業してきた「会津通商」の倉庫も、もともとは仕事で使っていたところを、現在は全く使えない状態でいるので、営業にも支障が出てきてしまいます。

 濱口さんに、物資と支援金ではどちらが必要か聞いてみたところ、間違いなくお金の方が必要だということでした。
今現在はある程度のお金が集まったので、物資の輸送のためのガソリン代などに使うことができていますが、今後復興活動はかなり長い時間がかかりますし、そのためには継続的な資金援助が必要になります。物資の調達に関しても、資金があれば必要なものだけ用意し、必要としている場所に効率良く届けられます。また、会津通商も倉庫や、事務所2階のシャワー、トイレ、電気代も全て無償で貸してくれていますが、それらも長い期間となれば確実に負担となってきます。
震災の直後、グループを結成した当初は沢山のお金が送られてきたそうですが、1か月が経った現在ですでに集まりも悪くなってきていて、今のペースでの活動を続けていれば確実に資金は足りなくなるとのことでした。

 また、ボランティアに集まる人も、最初は70人以上集まったこともあったそうですが、現在では20人弱で、こちらも足りなくなってしまっています。
実際、仕分け作業は私達4人だけでしている時もありました。それでもかなり役には立てたと思いますし、グループの方々には喜んでいただくことができました。

 今回「仙台とどけ隊」の活動に参加して分かったことをまとめてみます。
ただし、これは私が見た範囲内だけでの話で、他の被災地では全く違うことも沢山あると思います。

  • 食料品や生活用品を用意して積み込んで行ったが、私達が行った場所(倉庫)では余っている状態だった
  • テント、寝袋等を持って行ったが、仙台市近辺の宿泊施設は営業していた。(ただし、復興活動の作業関係者でほとんどのホテルが満室)
  • ガソリンは普通に入れられ、津波の被害が酷くなかった地域では水道、ガス、電気は復旧しており、買い物もできる
  • 支援活動のボランティアに行くのであれば、仕事はいくらでもあり、人は足りていない
  • 今後、義援金をピンポイントに被災地に届けるためには、かなりの額が集まっている赤十字等の団体に送る方法の他に、私達が見てきた団体へ直接寄付するのも有効ではないかと思われる

 今回、実際に被災地に入り、活動をできたことで、見えなかったことも見えるようになり、狭い範囲ではありますが実情を知ることができ、被災地の方々にも喜んで頂くことができました。
また、今回見てきたことを今後人々に伝えることは大切な役割だと思っています。

 ただ、今後も継続的にパパラギからスタッフをあの場所に送り、支援活動を行うには、ほんの2泊3日の日程では、かかる交通費と往復14時間の移動時間などを考えると、効率は悪いと言わざるを得ない部分もあります。(今回は、まずは調査ということでしたから別としても)
しかし、実際に現地に入り活動に参加することは、他に変えようのない貴重な経験になりますし、個人としての想像できる範囲も広まり、それはパパラギのお客さんと接する中でもきっと役に立つことだと思います。

 パパラギとして今後もできる支援活動で私が考えたものは、例えば

  • 義援金等は継続的な支援が必要となりますので、募集は続けていく必要があります。寄付する先は「仙台とどけ隊」などの資金が足りていないボランティアグループという手段もなるのではないか
  • 「復興支援チャリティーツアー」などは定期的に開催する。パパラギのお客さん達の中にも被災地のために何かしたいという方は多くいるはずなので、その想いを受け止める役割にもなると思います
  • 私達パパラギも、現在経済的に深刻な状況になっている中で、パパラギ運営上の負担になりすぎない程度に短い日程でも、定期的にスタッフを現地に送り、リレーのような形で支援活動を行う

 被災していないパパラギとして一番にやるべきことは、やはり企業活動を止めず、経済を回すこと、それによって継続的な支援ができるということを改めて思いました。
また、組織として、スタッフやお客さんの「被災地のためになにかしたい」という想いを受け止め、形にする活動を継続していく必要があると思います。

救援活動
一日中倉庫の中での作業となり、直接避難所の被災者の方とふれることはありません。
ですが、これも大切な活動です。
救援活動
全国から届いた物資には一つひとつ思いが込められています。
仕分けする方もその思いに応えるように努力しました。
救援活動
高台の家を残し、津波にさらわれた跡

 さて、以上が第一回目の報告となります。再度強調させて頂きたい点は、私達が一日中倉庫で救援物資の仕分けという、直接被災された方に関わらない仕事に徹していた事です。
そこで見、知り得た事はあくまでも今回の活動の範囲内の事だけです。
例えば、ここでは物資が余ってしまうような状況であっても、他ではまったく足りていない、届いていないという地も多いと聞きます。
  もちろん今は足りていても数ヶ月~1年後には確実に不足すると思います。
しかし、それら全体を包括しての報告をするにはあまりにも被災地が広範囲であり、とても想像できないくらいの大災害であると言えるのです。

 実際に被災地を見てきて、あまりのひどい光景にショックを受けました。正直、現実のものとは思えず、どう言葉にすれば良いのか分かりません。
その反面、被災地でもユーモアを忘れずに元気に頑張っている方々の姿に逆にこちらの方が励まされた気がしています。

 また今回、多くの方々のご協力により、支援活動に参加できたことに心から感謝しています。

報告者  武本 康平
参加メンバー  武本 康平、工藤 佑介(以上 パパラギスタッフ)、
坂山 保之 さん(映画「祝の島」スタッフ)、河合 正悟 さん(鎌倉市在住、一般参加)

<御礼>

今回の被災地への直接支援行動への資金カンパにご賛同いただき、心より感謝申し上げます。
お陰様で、4/8~11の4日間でパパラギ全店にお寄せ頂いたカンパは ¥238,211 となりました。
現地への支援活動は今後も継続いたしますので、有効に使わせていただきます。

 


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