パパラギの歴史と理念

38年 ひと昔(?)

1986年パパラギ1号店
1986年パパラギ1号店

38年前の1986年3月25日、パパラギは藤沢市にその1号店をオープンいたしました。

当時、ダイビングインストラクターを職業とする人はまだまれで、ほとんどは副業として、又は夏は海、冬はスキー場でという様なまるで“季節労働者”の様な人達が少なくありませんでした。まだメジャーではなかった事に加え、大学の体育会の様な“体カ重視型”の考え方が強く、サバイバルトレーニングの様な講習もあたり前に行なわれていたり、受講者をどなったり罵倒する様なインストラクターもめずらしくありませんでした。ダイビングに興味を持つ人違が増えて来はじめた事と同時に、こうしたインストラクター達に失望してしまったり、途中でやめてしまったりする人達も少なくありませんでした。私達はパパラギ開設当時からこういった現状に心を痛めておりました。そしてその様な業界や、インストラクター個人の質の悪さや未熟さは私達の様な仕事が職業として確立されていない事に原因があると考えていました。

本業としてこの仕事に取り組む事は、何よりも安全に対する意識、専門技術や知識、そして経験を積む為に不可欠な事で、最終的には参加者に対しての質の高いサ―ビスの提供や責任につながる事にもなるのです。 

旧グアム店 店舗写真

GUAM店開設の際には、10人以上のアメリカ市民と先住民であるチャモロ人を雇い入れました。ほとんどが海の専門家としての経験を持つ人達でしたが、それまで正社員としての雇用された経験もなければ社会保険等のいわゆる福利厚生保障もない状態でした。
又、この頃海外での日本人ダイバーの事故も多発し始め、その背景にはこういった様な状況も影響している事はまちがいありませんでした。

パパラギは当時、GUAM島における戦後最初の民間企業であったMarianas Divers&Marine,co.と企業買収契約を結び、当時のパートタイムスタッフ全員を正社員として雇い入れ、GUAM島のダイブショップの中では初めて全スタッフの社会保険等の保障システムを完備し、落ち着いて仕事に取り組める様な職場作りから始め、日本人ダイバー受け入れの為の徹底したスタッフトレーニングを行いました。
パパラギの歴史はこういった様に“―見遊び半分”でやっている様なダイビングインストラクターという風変わりな仕事ではありますが、実は“職業として確立”する為の努カの歴史といっても過言ではありません。


 

3つの希望

私達は“3つの希望”を持っています。

まず最初に、「命の尊厳」に対する意識を持ち続け、安全が全てに優先されるという事。そして、どんな人に対しても海の素晴しさを伝えられる、プロの指導員としての技術を磨き続けていたいという事です。「ダイビングをしようとする人はそれなりの体カや泳カが必要である」という考え方は今だ根強く残っており、「軟弱なダイバーを育ててはいけない」という様な事を言う人達もいます。私達の考えからすれば、もし体カ、泳カ等が充分にあるという人だけがこのスキューバを楽しむ権利があるとすれば、身体に障害のある人達にはその権利は与えられないという事にもなるのです。
つまり、常に一番弱い立場の人に基準を合わせるという事が安全の基本。そう考えたいのです。

  • スタッフ有志による「手話勉強会」は、現在でも継続されており、現在では、聴覚に障害のあるスタッフもスタッフとして一緒に働いています。
  • 子供達へのシュノーケリング教室の経験は「子供にもわかる講習ができなければ、大人にも通じない」という信念のもと、私達の必修経験となっています。(実際には子供に教えられる事の方が多い?)
  • “PAPALAGI CLUB”の開設は中高齢の人達に安心してダイビングを楽しんでいただく為に、最低でも10年以上のキャリアを持つスタッフが担当し、その運営にあたっています。

どんなハンデを持つ人であれ、海に親しむ権利は皆平等です。“どんな人にも楽しんでもらう”為の指導技術、これは私達の永遠の“修業課題”でもあるのです。
そしてN.P.O“パパラギ海と自然の教室”は学校教育での海の環境教育プログラムへの制作援助を最終ゴールとして作られました。

私達の2番目の希望はこのN.P.O活動に象徴される啓蒙活動です。

シュノーケリング水面集合写真
イシモチとシュノーケラー

パパラギが独自に開発したシュノーケリング教室やスキンダイビングコース、フィッシュウォッチングコース等そして上級者向けのガイドトレーニングコースを始めとする数多くのコースプログラムは私達の海の現場業務を通して研究され、制作されたものです。

しかし同時に、海のことを知れば知るほどその環境が汚染され、破壊され続けているもうひとつの現実を直視しない訳にはいかなくなってきているという厳しい現状もあります。自然保護団体や組織との連携とボランティア活動は、私達の研究が必ず、海、そして地球を救う為にも役立つはずであるという希望を持って行なわれています。

そして、私達のダイビングプログラムに参加する人達も、それぞれの関心のレべルにそって“楽しむ事と、守る事の大切さ”を知る事が出来ればと願っています。その為にも、私達の啓蒙活動は永遠に続けられるのです。

そして職業集団としての創造的な企業づくりは私達の3つめの希望です。

スタッフ一人ひとりの意見が確実に反映され、パパラギ運営の土台になる様な活動が私達の命です。
年間延べ60~70回は開催される安全研修、訓練、学習会等をはじめ、毎月全員が提出し合うスタッフ月報には、日々の業務の中で感じた事や意見、アイデア等が書かれ、必要な事はすぐに実践されます。又、毎年年末に開催される総会では1年の総括をはじめ、私達の仕事のあり方や企業としての方向に関してまでの討議が行なわれ、翌年の方向を探ります。

スタッフ全員研修の風景
スタッフEFRトレーニング

 

こういった事を通し、1人1人の意見が集団の力となって発揮される原動力であるという事を信じ、私達なりの企業のあり方を探る力にもなっています。

ダイビングを本業とするパパラギの様な規模の集団は世界でもあまり例がなく、他に見本や先例がない為に常に “手さぐり”である事で模索し続けなければならない現実や未熟さは常につきまといます。しかし、これらの希望を常に持ち続ける事できっと、より多くの人々に支持され、より多くの海を愛する人達が誕生し続ける事を信じ、パパラギの歴史はまだまだこれから作られて行くのです。

 

理念

「命の尊厳」と共育

パパラギは、今日までの38年間、常に「安全」を最も優先すべき課題として取り組んできました。
これは、どんな場面であっても、いかなる局面においても「安全」より優先される事は無いという事を意味します。
そして、その重要な課題の基本には継続的且つ妥協のない「スタッフ教育」がかかせないという事も一貫して来ました。
私達は若い会社でありながらもこれまでの経験の中で、とかく成績重視・業績優先の世の中にあって競争原理を持ち込まず「命の尊厳」という人間として最も基本的な考えに立った安全教育において、云わゆる「社員教育」より「人間共育」が重要であり、上から下への一方的な「教育」ではなく、共に学び共に育ち合う「共育」思想に立ってお互いを高める事の方が正解であるという事にも気がつかされたのです。

仕事を通して学ぶ

どんなに成績が優秀で、手腕力量に長けていても、その人物がどんな人物であっても、どんな方法であっても良いという訳ではありません。
仕事が出来る出来ないという事が問われる前に、人間として誰からも、そして社会的にも信頼される人物であるという事が必要なのです。

私達は人間としてのベースが不確かな者に、あれこれ技術や技能を教え込んでみても、結果として社会の為にも、そして本人の為にもならない事を体験的に学びました。
過去に不正や、問題を起こして去った人達からもそれらを学びとる事ができたと思います。

そもそも教育の原点は「まともな人間」を育てるところにあります。
パパラギの様に社会経験も浅く、若い人間の集まりである以上、より仕事を通して様々な事を学び、仕事を通して成長するという謙虚な姿勢を決して失ってはいけないのです。

統一された理念

ボートでの緊急対処訓練
水面での緊急対処訓練

仕事を通して学び、成長するという謙虚さは、同時にそれらの事が最も効率が良い仕事を推し進め、良好な利益を生む職業人としての近道であるはずです。そういう意味でも統一された理念は継続されるのです。

  • 人格を磨き
  • 技術を高め
  • 知識を深める

職業人として私達はこうありたい。

激しく変わる経済状況や消費者動向の変化の中で、我々の職業も様々な影響を受けます。 しかし、日々の業績の良し悪しに翻弄されず、何よりも「安全」が優先、という強固な理念と士気を失わずに仕事を継続したいと考えます。

・・・パパラギ方針書より一部抜粋


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